2026年8月26日。
収穫が本格化したカスティーリャ・ラ・マンチャ、トメジョーソ(Tomelloso)を訪れました。数日前までの厳しい暑さが少し和らぎ、朝晩には秋の気配が感じられます。
今回、ボデガス・ヴェルム(Bodegas Verum)を訪れた理由のひとつは、20歳になった木下太陽(ソル)くんとの再会でした。初めて会ったのは、2012年9月。14年前の、同じ収穫の季節です。
当時6歳だったソルくんは、ご両親とともに京都からヴェルムを訪れていました。父親の木下清孝さんは、京都の老舗スペインレストラングループ「バハルボール」で、パエリアレストラン・カフェ「バラッカ」をはじめ、「パエリアバス」などをプロデュース。長年にわたり、京都でスペインの食文化を支え続けるパイオニアです。

私もヴェルムで合流し、小さなソルくんと一緒にアイレンの収穫をしました。あのときの光景は、今でもよく覚えています。
そして14年後。20歳になったソルくんは、「日本以外でもワイン造りを経験してみたい」と、自分で費用を貯め、幼い頃に訪れたヴェルムへ戻ってきました。
約1か月のワイナリー研修です。
しかも今回は、同級生で幼馴染の廣岡海(マール)くんも一緒です。
マールくんの父親もまた、京都でスペインバル「ポキート(Poquito)」を経営しています。彼自身も幼い頃から店を手伝いながら、自然とスペイン料理やワインに触れる環境で育ってきました。
「ソルがスペインに行くというので、その時はあまり深く考えずに、一緒に来たんです」
そう笑うマールくん。でも、実際にラ・マンチャの畑に入り、収穫を経験するうちに、彼の中にも少しずつ変化が生まれているのを感じました。
2026年、ラ・マンチャの収穫

ヴェルム醸造責任者、エリアス・ロペス・モンテロ

エリアス・ロペス・モンテロ
VERUM 醸造責任者
2002年、リベラ・デル・デュエロのAALTO、2004年には南アフリカで研鑽を積む。2005年にトメジョーソへ戻り、家族と共にボデガス・ヴェルムを設立。20代でオーナー醸造責任者に就任。2007年「ウルテリオール」プロジェクトを開始し、ラ・マンチャの絶滅危惧品種の復活に取り組む。夏はスペイン、冬はアルゼンチンで醸造に携わる。英国『Decanter』(2018年3月号)の「スペインワインの未来を築く若き醸造家10人」に選出。2021年GAGGENAU「Respected by GAGGENAU」で世界最優秀ブドウ栽培家に選ばれた。@eliaslopezmontero
今年のラ・マンチャは、ブドウの生育サイクルが例年より早く進んでいます。ヴェルム醸造責任者、エリアス・ロペス・モンテロに2026年の収穫について聞きました。
2026年は、非常に早い芽吹きによって特徴づけられた年となりました。
「実際、アルビージョ・レアル(Albillo Real)のように、極めて早く芽吹いたため、春の気候にハラハラさせられた品種もありました。4月にはかなり冷え込みましたからね。それでも、よく耐え、持ちこたえてくれました。テンプラニーリョ(Tempranillo)のような生育サイクルの短い品種も、良い反応を示してくれました」
さらに、その後の厳しい夏を支えたのが、春に降った雨だったといいます。
「7月から8月初旬にかけては、猛暑に見舞われましたが、春に降った雨が大きな助けになりました。十分な水分があったことで、葉(キャノピー)が豊かに生い茂り、強い日差しからブドウを守る傘となってくれたのです。その結果、この暑さの中でも、良い酸度とpHという素晴らしいパラメータを維持することができています」
通常、これほどの猛暑が続けば、ブドウの酸は失われ、味わいも平坦になりがちです。それでも今年は、豊かなキャノピーが強い日差しから果実を守り、ブドウ自身の力も相まって、酸をしっかりと保つことができました。その結果、暑さの中でも、ワインに心地よいフレッシュさをもたらすバランスの取れた状態で成熟を迎えています。

ラス・ティナダス センシベル(テンプラニーリョ)の畑
2026年は全体的に収穫が前倒しとなっており、特に無灌漑の畑で、その傾向が顕著だといいます。ヴェルムではセンシベル(Cencibel:テンプラニーリョ)をかつてないほど早い時期に収穫し、アイレンにいたっては、8月26日の時点ですでに、すべての収穫を終えていました。
ウルテリオール ガルナッチャの畑
一方、ガルナッチャやティント・ベラスコなど、生育サイクルの長い品種はこれからが本番。
8月後半に入り、気温が大きく下がったことが、今後の成熟にどのような影響を与えるのか。エリアスは期待を寄せていました。
ソムリエ教本の知識が、現場で立体になっていく

木下太陽(ソル)さん。「太陽」と書いて、スペイン語で「太陽」を意味する「Sol(ソル)」と読む。
その名の通り、明るく太陽のような人柄で、トメジョーソでもすっかり人気者に。
日本でのソルくんは、京都・丸太町の「cafe an.」で店長を務めています。大正ロマンを感じる温かみのある空間で、15名のスタッフをまとめています。
インバウンド観光客の多い京都という土地柄もあり、英語やスペイン語を話すソルくんは、海外から訪れるお客さまに日本のワインを紹介する機会も多いそうです。母親の木下陽子さんとともに、日本のワイナリーもたびたび訪れています。
そんなソルくんが、ヴェルムでの研修を前に考えたのは、「最低限の知識を身につけてから現場に入りたい」ということでした。
「せっかく収穫を経験させてもらうなら、何も知らないまま手伝うのは失礼だと思ったんです」
スペインへ出発する前には、JSAソムリエ試験の一次試験にも挑戦し、合格。そして実際にヴェルムの現場に入り、これまで学んできたことが、少しずつつながり始めています。
「ソムリエ試験のために勉強した知識は、どうしても教科書の中の二次元のものです。そこで学んだ知識を、今回、生で見て、体験することで、より体系化され、立体的になったのが個人的には大きいなと感じました。その土地、その風土に則したワイン造りには、すごく感銘を受けました」
教本で覚えた知識が、畑に立ち、ブドウに触れ、醸造の現場に立つことで、初めて実感を伴ったものになる。
20歳という年齢で、その変化を自分の言葉で語っていることが印象に残りました。
富士山の思い出。友達の、もうひとつの顔

今回の研修には、ソルくんにとってもうひとつ大きな意味がありました。エリアスとの再会です。幼いソルくんにとって、エリアスは、いわば「スペイン人の親友」のような存在でした。
あるとき、エリアスが「一緒に富士山に登りたい」と話したことをきっかけに、当時小学1年生だったソルくんは、ご両親とともにエリアスと富士山の頂上を目指しました。
そして山頂で開けたのは、エリアス自身が造ったワイン。
自分のワインを富士山の頂上で飲む彼は、少年だったソルくんの目にも、とても嬉しそうに映ったそうです。
そんな思い出を持つエリアスと、14年ぶりにスペインで再会。1か月間ヴェルムで過ごす中で、醸造家としての姿を間近で見ることになりました。
「これまでは、大好きな友達という感覚でした。
でも今回ヴェルムに来て、醸造家としてのエリアスを初めて知りました。彼が行く先々で、みんなが彼を慕っていて、リスペクトしている。この旅で、彼に対する認識がすごく変わりました」
現場に立って知った、ワイン造り

今回の研修で特に印象に残ったことは?と、ソルくんに尋ねました。
「とても驚きました。ここまで厳しい基準でブドウを選別するのか、と」
ヴェルムには、樹齢50年を超える古樹や、圧搾せずに得られるフリーラン果汁を用いるワインなど、ワインの個性を形づくるさまざまな要素があります。
そして、その一つひとつを支えているのが、収穫から醸造までの細かな仕事です。
「本当に良いブドウだけを残していくので、最終的に仕込みに使える量はかなり少なくなります。でも、こうして一粒一粒を見極めて選別しているからこそ、良いブドウを醸造に使うことができる。その意味を、実際に現場に立って実感しました」
畑から届いたブドウを一粒ずつ見極め、良い状態の粒を選り分け、そのポテンシャルをできるだけ損なわずに醸造へつないでいく。今回の研修は、ソルくんにとって、ワインができるまでの一つひとつの仕事を実際に体験し、その意味を知る機会にもなりました。
20歳、自分探しの旅

廣岡海(マール)さん。「海」と書いて、スペイン語で海を意味する「Mar(マール)」と読む。穏やかな海のような人柄。
思いつきから始まったこの旅が、これからの人生のひとつのきっかけになりそうな予感。
ソルくんと一緒にヴェルムで研修をしているマールくんにとっても、トメジョーソでの日々は大きな経験になっているようです。ソルくんの影響でソムリエ教本を読むようになったものの、紙面上だけでは、どこか抽象的だったワインの知識。それが、実際にワイナリーで作業をすることで、少しずつつながってきたといいます。
「アパートに帰ってから教本を読み直すと、『あ、なるほど!』と、それまでわからなかったことが次々とつながるんです。パズルのピースがカチッとはまるような感覚で。その瞬間が、今とても楽しいんです」
「スペインに行く」というソルくんに、とっさの判断で着いてきたマールくん。20歳の二人がトメジョーソで経験しているのは、ワイナリー研修以上のものなのかもしれません。
パエリアでつなぐ、笑顔の輪

ソルくんには、ワインとは別に、もうひとつ大切にしているものがあります。それは、「パエリアバス」です。幼い頃から父親とともに全国各地を巡り、巨大なパエリアを作ってきました。
「大きなパエリア鍋で一度に何百人前も作れて、お米、お野菜、お肉にお魚と、すべての栄養バランスが取れた素晴らしい料理を作れるのは、僕の知る限りパエリアだけです」
イベントだけではありません。災害が起きた場所にも足を運び、温かいパエリアを届けてきました。その活動は、ソルくん自身のアイデンティティの一つにもなっています。
「温かいパエリアをその場で食べてもらって、少しでも笑顔になってもらえることに、強い誇りを持っています」

今秋には、父親とともに熊本の被災地へ炊き出しに向かう準備も進めています。10年前の熊本地震が起きたとき、まだ幼かったソルくんは現地へ行くことができませんでした。けれど、お父さんから送られてきた現地の写真を見て、画面越しにも強く心を動かされたことを覚えているといいます。
「今回の熊本の被災地支援では、2度の大地震を経験された方、大切な人を亡くされた方、今も辛い思いをされている方がたくさんいらっしゃいます。その方たちに、温かいパエリアを食べて、少しでも何か、小さな幸せを感じてもらえるように、心を込めてパエリアを作るつもりです」
幼い頃から、父親がパエリアを通して人を笑顔にする姿を見てきたソルくん。その経験を、今度は自分の世代へ、そして次の世代へとつないでいきたい。
「こんなユニークな経験をしているのは、世界で僕一人しかいないと思っています。お父さんが培ってきたこの素晴らしい経験や知識を、僕が存分に吸収して、しっかりと次の世代に残していきたいです」
ラ・マンチャから、それぞれの未来へ

ワインには、時間を越えて人をつなぐ力があります。
14年前、ラ・マンチャの畑で一緒にアイレンを収穫した6歳の少年は、20歳になり、自分の意思でこの土地へ戻ってきました。
今度は、ワインを造る側として。
20歳の二人は、この1か月の経験から何を感じ、これからどんな道を選んでいくのでしょうか。この時間が、これからの二人の人生に、きっと残っていくのだと思います。14年前の小さな出会いが、再びこの地へ二人を引き寄せたように。
可能性に満ちた二人と話し、これから先の未来を思い描く時間は、私にとってもワクワクするものでした。これからも、二人の歩みを見守っていきたい。そんな思いを胸に、秋の気配が漂い始めたトメジョーソを後にしました。

Ikumi Harada 原田郁美
Journalist & Creative Director
スペインワインとガストロノミーを専門とするジャーナリスト。広告代理店でデザイナーとして経験を積み、クリエイティブな視点と戦略的思考を身につける。2005年のスペイン留学を機にワインと食文化に魅了され、以来その研究と発信に力を注いでいる。2009年から日本およびアジア市場におけるスペインワインの輸出・プロモーションに携わり、2011年「スペインワインと食協会」を設立し普及と市場発展に努めている。2012年よりプリオラートでワイン造りに取り組み、2024年に自らの初ヴィンテージを発表。2025年からバルセロナの国際ワインコンクール「Barcelona Wine Test」の運営メンバーとして活動。WSET® Level 3、Spanish Wine Specialist(ICEX認定)。山口県出身。
@ikumiharada