スペインソムリエ界の権威フアン・ムニョス先生と紐解く Spanish Lifestyle【Recipe.1】
スペインは、年間約9,400万人の観光客が訪れ、2024年には過去最高を記録しました。UNWTO(国連世界観光機関)によると、スペインは世界の観光地ランキングでフランスに次ぐ2位。特にビーチ、ワイン、ガストロノミー、文化が多くの旅行者を惹きつけています。さらに、2040年には「世界一の長寿国」になると予測され、その背景に何があるのかが注目されています。この秘密を紐解くため、スペインワインとガストロノミーに関する14冊の著書を持つフアン・ムニョス先生にお話を伺いました。 原田郁美:(以下、原田) フアン先生、グローバル時代にスペインが世界有数の長寿国である秘訣は何ですか? フアン・ムニョス(以下、フアン先生): 健康的なライフスタイルですよ。新鮮な食材を使ったバランスの良い食事——煮込み料理や豆類、魚を多く取り入れ、肉は控えめにすることが重要です。歴史的にスペインの肉といえば、鶏、ウサギ、少量のカモやジビエ(狩猟肉)で、基本的に白身肉が主流です(ジビエを除く)。毎日散歩して太陽を浴び、ビタミンDを摂ることも大切です。冬は風邪予防のために柑橘類でビタミンCを補い、春はさくらんぼやプラム、夏はスイカやメロンで水分補給を。古いことわざに『南は揚げる、中央は焼く、北は煮る、東(地中海沿岸)は茹でる』とあって、地域ごとの気候が食を形作っています。そしてもちろん、適量のワインも忘れてはなりません。 原田: 「地中海食が健康と長寿の鍵」とよく言われますが、その“本質”とも言える食材や習慣は何でしょうか? フアン先生: 基本的な食生活の原則は変わりませんが、ここで最も重要なのは、「食卓に座って食事をすること」、できれば家族と一緒に食事をすることです。たとえ週末だけでも、それを実践することが大切です。立ったまま、冷蔵庫の扉を開けた状態で食べるのは最悪の習慣です。添加物たっぷりの加工食品や出来合いの料理は避けて、信頼できる店で伝統的な方法で作られた食品以外は、できるだけ加工食品を食べないようにしましょう。毎日摂るべき食材のひとつがエキストラバージンオリーブオイルです。朝食のハモン・イベリコ(イベリコハム)とパンコントマテ(トマトのトースト)から、夕食に至るまで、オリーブオイルは日々の健康を支える最強の天然抗炎症剤です。さらに、新鮮な果物、たっぷりの水、適度なワイン、日光浴、散歩、友人との交流も大切です。ことわざにもこうあります。「朝食は王様のように、昼食は侯爵のように、夕食は乞食のように」。 原田: ワインは長寿とどのように関係しているのでしょうか? フアン先生:食事と共に”適度に”ワインを楽しむことが、健康的な生活につながることは地中海食学会でも科学的に認められています。ワインにはフラボノイドやタンニンが含まれており、悪玉コレステロールを抑える効果があるため、まさに健康に寄与する食材の一つと言えます。原田: スペインの都市部では、親と同居しない若者や共働きのカップルが増え、 忙しさからテイクアウトやファストフードを利用することが多くなっています。この食生活の変化について、どうお考えですか? フアン先生: 確かにその傾向はあります。しかし最近、若者の間で健康的でシンプルな食材を使った料理が注目され始めています。特に、健康志向のレストランや伝統的な料理を提供する店が人気を集めているのです。それはビーガンやベジタリアン向けだけでなく、質の高い地元食材を活かした伝統的な料理を求める声が増えているということです。ただし、遺伝子組み換え作物や、人工的に加工された調味料、には注意が必要です。国際的にも知られる『UMAMI』という言葉は、しばしば「グルタミン酸ナトリウム」そのものと誤解され、「安価な中華料理の味」というイメージを持つ人も欧米にはいますが、本来の意味はそれとは異なります。「旨味」は、日本で生まれた概念で、「美味しい味」を指し、特定の味を示すものではありません。実際には、「旨味」は“味の深み”や“コク”を生み出すものなのです。 原田: 伝統的な食文化の喪失は、将来的に健康や長寿に影響を与えると思いますか?また、それを防ぐためにはどうすればよいでしょうか? フアン先生: もちろん、影響を与えるでしょう。そのためには、料理研究家のカルロス・アルギニャーノのような人のアドバイスを参考にするのが良いでしょう。彼はスペインのテレビ局「Antena 3」で40年近くにわたり、手軽で健康的な家庭料理を教えてきました。また、レンズ豆の煮込み、シチュー、米料理、豆類を週に2回食べる習慣を取り戻すことが大切です。そして、子どもたちの朝食には菓子パンではなく、伝統的な*ボカディージョ(スペインのサンドイッチ)を持たせるようにしましょう。原田: 忙しい生活で、スペインの家庭料理はどう進化すべきですか? フアン先生: 進化は不要です。伝統を続けていればいいのです。新鮮な食材で週末に作った料理を冷凍すれば、平日も美味しく食べられます。セビーチェは日持ちしませんが、世紀からあるエスカベッチェなら肉も野菜も魚も数ヶ月持つし、栄養満点で簡単です。トルティージャも翌日が旨いし、アーティチョークや豆のバージョンも最高ですよ。原田: 先生は、1988年からスペインや南米で数万人のソムリエを指導されています。常に若い世代と接している先生にお伺いしたいのですが、最近、若い世代のアルコール摂取量が減少している傾向があります。この変化がワイン文化にどのような影響を与えるとお考えですか?また、 若者たちのアルコールに対する意識について、どのように感じていますか? フアン先生: 興味深いことに、ソムリエの世界ではアルコール依存症はほとんど見られません。幸いにも、若い生徒たちは、アルコールを適量かつ知識をもって楽しむ意識が高いです。もし、自分がアルコールに支配される兆候を感じたら、即座に断ち切るべきだという認識も浸透しています。お酒を飲むなら、食事やその後の余韻を楽しむために適度に。そして、飲酒後は決して運転しないこと。 スペインでは、アルコールは歴史的な文化の一部であり、他国とは異なる飲まれ方をします。ゆっくりと味わい、特定の時間帯に飲むのが一般的です。また、何を、いつ飲むのかを考え、できるだけ食事と共に楽しむことが推奨されます。実際、スペインにおけるアルコール消費の80%以上は食事とともに行われています。これは「タパス」や「ピンチョス」の文化が持つ、素晴らしい魅力の一つでもあります。適量を、そして楽しみながら飲むことが大切です。 原田: スペインにとってワインは文化の一部であり、農業の中心とも言えます。若者が継ぎ、活性化するにはどのような方法が必要ですか? フアン先生:スペインでは、ヨーロッパの他国と比べてワインの消費量は少なく、1人あたり年間約24リットルにとどまっています。地域差もあり、北部ではワインが好まれる一方、中部・東部・南部では気候の影響もあり、ビールの方が多く飲まれています。 けれども、X世代やZ世代や、新しいシニア層が、ここ数年でワイン消費を見直し、少量ながら高品質なワインを選ぶ傾向が強まっています。特に、原産地呼称(DO)付きのワインを飲む割合が増え、グラス単位での提供も広がっています。これは、ワインをより身近に、そして学びながら楽しめる環境を作る大きな一歩です。原田: 食事以外で、スペインのどんな習慣が充実した長寿の秘訣になっていると思いますか? フアン先生: スペイン人の長寿には、日常生活の中での人との繋がりが大きな役割を果たしています。家族や友人とのコミュニケーションを大切にすることが、精神的な健康を支えています。食事の時間はもちろん、アペリティフや散歩中の公園のベンチでの会話など、日常的な交流が充実した人生に貢献しているのです。 また、スペインでは日常的に歩く習慣が根付いており、心身の健康を維持するために重要な役割を果たしています。特に、スペインの温暖な気候は晴天が多く、日照時間も長いため、太陽の恵みを受けながら歩くことができます。このような環境が、ビタミンDの生成を促進し、長寿に寄与する要因のひとつとなっています。 さらに、適度な運動や十分な水分補給も日常的に行われています。これらは身体機能を保つために欠かせません。そして、スペインの食生活で欠かせないのがエクストラバージンオリーブオイルです。これは、心臓病の予防や抗炎症作用があるとされ、健康に非常に良い影響を与えます。 また、イベリコ豚やハモンは、「四本足のオリーブの木」とも称されるほど、健康に有益な脂肪酸であるオレイン酸や、オメガ3・オメガ6を豊富に含んでいます。これらを適量摂取することが、健康的な食生活を支える重要な要素となっているのです。 原田: ワインや地中海食にあまり馴染みのない日本やその他の国の方々に、スペインの健康的なライフスタイルをどうすれば魅力的に伝えられるでしょうか? フアン先生: もし可能であれば、ぜひスペインを訪れて実際に体験していただきたいですね。でも、それが難しい場合でも、健康的な食生活のエッセンスを日常に少しずつ取り入れることはできます。例えば、日本の伝統的な食事は世界でもトップクラスの健康的な食文化のひとつです。その特長を活かしながら、エキストラバージンオリーブオイルを和食に取り入れてみるのもおすすめです。シンプルにおひたしや豆腐にかけたり、味噌汁にひとさじ加えたりするだけでも、新しい風味と健康的なメリットを楽しめますよ。また、スペインの「タパス文化」に触れてみるのもおすすめです。タパスやピンチョスを楽しみながら、黒トリュフ、オリーブ、バル文化など、スペインの食文化を取り入れることができます。スペインのバルは単なる飲み屋ではなく、社交の場として機能していて、必ずしもアルコールを飲む必要はありません。水やコーヒー、ノンアルコール飲料を楽しみながら、友人や家族と交流する場になっています。人によってはサッカーや闘牛の話題で盛り上がることもありますが、それぞれが思い思いのスタイルで楽しめるのがスペインのバルの魅力です。 原田: 新連載『Spanish Lifestyle』で日本やアジアに何を伝えたいですか? フアン先生: このメッセージはシンプルでありながら、奥深いものです。それは、「私たちに導かれてみませんか?」ということ。 ・ワインを適量楽しみながら、美しい夕日を眺める。・バルに行き、意見を交わしながら会話を楽しむ。・キノコやトリュフの季節に森を散策する。・オリーブやブドウ、果物の収穫に参加する。・漁師と一緒に漁に出る(現在、一部の港では体験可能)。 こうした活動を通じて、スペインの地中海式健康法のアクティビストになってもらえたらと思います。例えば、巡礼の道「カミノ・デ・サンティアゴ」を歩いてみるのも良いでしょう。特に、サリアからサンティアゴまでの100kmを5日間で歩くルートは、精神的な意味でも、食の観点からも素晴らしい体験になります。...