ワイン醸造家が育む、グリフォイオイルの哲学
プリオラートと聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのはワインではないでしょうか。リコレリャ(粘板岩)が広がる急峻な斜面に、古木のブドウ畑が広がる風景。この厳しい自然環境が育むワインは、プリオラートをスペインを代表する銘醸地へと押し上げてきました。
しかし、この地が育む恵みはブドウだけではありません。
「ブドウもオリーブも、まったく同じ風土に育まれ、この土地の個性を映し出しているのです」
そう語るのは、代々エルモラール村でワイン造りを営むグリフォイ家の5代目であり、「グリフォイ・デクララ」のオーナー醸造家、ロジェール・グリフォイ・デクララです。(記事冒頭の写真)
El Molar(エル・モラール)という地名は、「石臼」を意味するラテン語 mola を語源とするとされています。この地域一帯には古くから搾油に使われる石臼が数多く存在し、石臼に適した石材の産地でもあったことから、地名もそこに由来すると語り継がれています。こうした歴史は、この土地が古くからオリーブ文化と深く結びついてきたことを物語っています。
1736年からブドウ栽培を営んできたグリフォイ家。自然に最大限の敬意を払いながら原風景を守るロジェールが、ワイン造りで培った緻密な経験と美学は、そのままオリーブオイル造りにも息づいています。
鮮度を守る迅速な収穫と、低温抽出のこだわり

「オリーブもブドウも、収穫した瞬間から品質が変わり始めます」
ロジェールは語ります。オリーブが地面に落ちて傷つく前に、木の下にシートを広げ、木を揺らして健全な果実のみを収穫します。地面に落ちた実を拾うと、土が付着したり、傷口から酸化や発酵が始まってしまうためです。
収穫したアルベキーナは、鮮度を損なわないよう、すぐに搾油所に運び、数時間のうちに搾油します。このスピード感をもった時間管理こそが、フレッシュな香りと高い品質を保つ生命線となります。
さらに、搾油におけるこだわりは厳格な温度管理にあります。 一般的に「コールドプレス(低温抽出)」と呼ばれるプロセスにおいて、グリフォイでは抽出温度を27℃以下に徹底してコントロールしています。
「温度を上げればオイルの抽出量は増えますが、アルベキーナが持つ繊細なアロマやポリフェノールといった有用成分は熱で失われてしまいます。私たちが求めているのは効率ではなく、果実本来のピュアな風味。だからこそ、ワイン造りにおいて発酵温度を繊細にコントロールするのと同じように、オリーブの実本来の風味を損なわないよう丁寧に低温で抽出するのです」
ワインとオリーブオイル、「酸」の常識は逆だった
ワインでは、「酸」は味わいにフレッシュさや骨格、気品を与え、長期熟成を支える重要な要素です。そのため、良質なワインには、しっかりとした酸が欠かせません。一方、オリーブオイルにおける「酸度」は、酸味ではなく、オリーブの鮮度や収穫後の取り扱い、搾油の状態を示す品質の目安です。そのため、エキストラバージンオリーブオイルでは、酸度が低いほど高品質と評価されます。
収穫後すぐの搾油と、27℃以下に抑えた丁寧なコールドプレスによって、酸化や余計な発酵は極限まで抑えられます。こうして生まれるオイルは、アルベキーナならではの、青リンゴや完熟したリンゴ、フレッシュハーブを思わせる繊細でフルーティーな香りが特徴です。口当たりはとてもなめらかで、ほのかな甘みとともに、アーモンドを思わせるナッティな余韻が心地よく続きます。
特異な土壌が生み出す凝縮した味わい

プリオラートのアイデンティティは、やはり「リコレリャ」と呼ばれる粘板岩土壌にあります。 畑によっては地表からわずか50cmほどで硬い岩盤に達するため、オリーブの根は限られた水分とわずかな養分を求め、石の隙間を縫うようにして深く深く伸びていきます。
雨が少なく乾燥したリコレリャの土地では、ぶどうもオリーブも決して多くは実りません。しかし、水分や養分の乏しい過酷な環境だからこそ、果実は力強く凝縮した味わいを育みます。「収量は少なくても、この土地の個性が果実に凝縮されるのです。」とロジェールは語ります。
早摘みしすぎず、熟しすぎず、一番良い熟度のタイミングを見極めて収穫するのがポイントです。成熟を待つことは、秋の悪天候や落果のリスクを高めることになりますが、それでも品質のためにリスクをいとわない姿勢は、彼が手掛けるプレミアムワインの造りと完全に一致しています。搾油率という「量」よりも、どこまでも「品質」を優先しているのです。
カタルーニャの一皿から、和の食卓まで

こうして丁寧に造られるエキストラバージンオリーブオイルは、カタルーニャの食卓に欠かせない存在です。地元では「何にでもかける」のが当たり前。ソウルフードのパン・コン・トマテをはじめ、カルソッツに欠かせないロメスコソース、にんにくの風味豊かなアリオリなど、伝統料理を支える大切な食材です。
まずは焼きたてのパンやシンプルなグリーンサラダ、冷製スープにひと回し。それだけで香りとコクが加わり、料理の表情がぐっと豊かになります。
苦味が穏やかなアルベキーナは、日本料理とも驚くほどよく調和します。豆腐やそうめん、納豆など、いつもの食卓にひと回しするだけで、素材の持ち味を引き立てながら、やさしい香りと奥行きを添えてくれます。そして、その一皿を味わっていると、不思議とワインを合わせたくなる——そんな魅力を秘めたオリーブオイルです。
ワインと同じように、テロワールを映す一滴

「ワインを造りながら、私は『テロワールを表現する』ことの本当の意味を学んできました。そしてそれは、オリーブにとってもまったく同じことなのです」
もともと家族のためだけに造られ、一般販売を考えていなかったプライベートなオリーブオイル。生産量はごくわずかで、市場に流通することはほとんどありません。日本で手にできる数量もごく限られています。
リコレリャが育む特異なテロワール、長い歴史の中で受け継がれてきた知恵、最適な収穫時期を見極める経験、鮮度を守るための徹底した時間管理、そして熟練した搾油技術。その一つひとつに妥協なく向き合うことで、この土地の個性がグリフォイオイルの一滴一滴に映し出されています。
この地を訪れる機会があれば、ぜひワインだけでなく、オリーブオイルにも目を向けてみてください。同じテロワールから生まれながら、それぞれ異なるかたちで土地の個性を表現する二つの恵み。その味わいを通して、プリオラートの奥深い魅力を、より豊かに感じられることでしょう。
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Ikumi Harada 原田郁美
Journalist & Creative Director
スペインワインとガストロノミーを専門とするジャーナリスト。広告代理店でデザイナーとして経験を積み、クリエイティブな視点と戦略的思考を身につける。2005年のスペイン留学を機にワインと食文化に魅了され、以来その研究と発信に力を注いでいる。2009年から日本およびアジア市場におけるスペインワインの輸出・プロモーションに携わり、2011年「スペインワインと食協会」を設立し普及と市場発展に努めている。2012年よりプリオラートでワイン造りに取り組み、2024年に自らの初ヴィンテージを発表。2025年からバルセロナの国際ワインコンクール「Barcelona Wine Test」の運営メンバーとして活動。WSET® Level 3、Spanish Wine Specialist(ICEX認定)。山口県出身。
@ikumiharada