ガスパチョは、いつから「夏の味」になったのか?
一杯の冷たいスープをめぐる、スペイン食文化の長い旅 「ガスパチョ」と聞いて、まず思い浮かぶのは何でしょう。 真っ赤に熟したトマト、きゅうり、ピーマン、にんにく。オリーブオイルとビネガーの心地よい酸味。そして、真夏の太陽の下で冷たく冷やしていただく、あの爽やかな味わいではないでしょうか。 けれども、ガスパチョの歴史を少し遡ってみると、私たちが今知っている冷たいスープは、長い物語のほんの一章にすぎないことがわかります。 実は、昔のガスパチョにはトマトさえ入っていませんでした。 それどころか、「gazpacho」という言葉そのものも、最初からアンダルシアの冷製スープを指していたわけではないのです。 昨年のちょうど今頃、ニュースレターでフアン先生の寄稿「ガスパチョの歴史、味わいのルーツを辿る」をご紹介したところ、大変ご好評をいただきました。 今年はそこからもう一歩踏み込み、この料理の「味わいのルーツ」をたどってみたいと思います。 「ガスパチョ」という言葉は、どこから来たのか? 近年、この言葉のルーツをめぐる、とても興味深い研究が発表されました。 2023年、カスティーリャ=ラ・マンチャ大学のラテン語文献学者、マリア・テレサ・サンタマリア・エルナンデス教授は、学術誌『Myrtia』に「Etimología de gazpacho (caccabaceus): significado originario y evolución fonética」という論文を発表しました。 この研究では、「gazpacho」はラテン語の caccabaceus に由来するとされています。caccabaceus は「鍋・釜」を意味する caccabus から派生した言葉です。さらに興味深いのは、古代ローマの文献における caccabaceus が、鍋そのものではなく、鍋の中で液体とともに調理するパンを指していたと解釈されていることです。 つまり、この新しい語源説に従えば、ガスパチョの遠いルーツは、冷たい野菜のスープではなく、パンと液体を組み合わせた料理にあった可能性があります。 この説を知ると、現代の「ガスパチョ・マンチェゴ(gazpacho manchego)」が、にわかに興味深い存在に見えてきます。 カスティーリャ=ラ・マンチャ地方のガスパチョは、アンダルシアの冷たいスープとはまったく違います。ウサギなどの肉や狩猟肉を煮込み、そこに「トルタ・センセーニャ(torta cenceña)」と呼ばれる薄い無発酵のパンをちぎって加える、温かく力強い料理です。 現在の研究では、このパンの存在が、古代の caccabaceus という言葉と結びつく可能性が指摘されています。 そう考えると、ガスパチョの歴史は、単なる「アンダルシアの冷製スープの歴史」ではありません。 むしろ、パンを液体とともに食べるという古い食文化の延長線上に、現在の多様なガスパチョが存在している。 そう考えると、一杯のガスパチョが、急に長い歴史を持つ料理に見えてきます。 トマトのないガスパチョと、庶民の知恵 では、私たちが親しんでいる「赤いガスパチョ」は、いつ生まれたのでしょうか。 トマトはアメリカ大陸原産です。そのため、大航海時代以前のヨーロッパに、現在のようなトマト入りガスパチョが存在することはありませんでした。 かつてのガスパチョは、もっと質素なものでした。硬くなったパン。水。オリーブオイル。酢。塩。そして、にんにく。 17世紀初頭、スペイン語の辞典を編纂したセバスティアン・デ・コバルビアスも、ガスパチョをパンや油、酢などを使った庶民的な食べ物として記録しています。 つまりガスパチョは、宮廷の洗練された料理というより、農作業や季節労働に携わる人々の食卓に根付いた料理でした。 手元に硬くなったパンがあれば、それを使う。畑に野菜があれば、それを加える。土地にあるものを、その季節にある方法でおいしく食べる。この柔軟さこそが、ガスパチョが各地へ広がり、土地ごとに姿を変えていった理由なのかもしれません。 アホブランコから、赤いガスパチョへ アホ・ブランコはスペインのアンダルシア地方の伝統的なスープ料理。アーモンド、ニンニク、オリーブオイルなどを用いる白い冷製スープである。白いガスパチョとも呼ばれる。 アンダルシアの冷製スープの系譜をたどると、トマト以前の姿が見えてきます。その代表格が「アホブランコ(ajoblanco)」です。 パン、にんにく、オリーブオイル、酢、水にアーモンドを加えた白い冷製スープ。 その起源については、ローマ時代やイスラム期、アル=アンダルスの食文化との関連など、さまざまな説があります。ただ、ここでも「これが唯一の起源」と断定するのではなく、古くから地中海世界に存在したパン、油、にんにく、酢、ナッツといった食材の組み合わせの中で育まれてきた料理と考える方が自然でしょう。...