
バルセロナに根づく日本食文化
スペインの中でも特に日本食人気が高いのは、国際的な港町バルセロナです。寿司はもちろん、ラーメンも若い世代なら誰もが知る日本食となりました。
2005年に筆者がバルセロナに留学していた頃も、すでに意識の高い人たちの間では日本食ブームが起きていました。当時ベルギー人のクラスメイトが連れていってくれた回転寿司店では、マグロやサーモンの寿司と、餃子だけが回っていて、ショックを受けたのを今でも覚えています。その当時大半の日本食店は、中国人が経営していました。その後、日本好きのグルメなラトビア人の友人に連れて行ってもらったのが「Shunka(旬香)」。2001年に松久秀樹シェフがオープンした店で、当時の和食店とは一線を画す存在でした。
スペインで最も有名な日本人シェフ
松久シェフは1972年愛知県豊田市生まれ。寿司職人である父のもとで育ち、1997年にスペインに渡ります。地中海食材の多様さと質に魅了され、日本の伝統技法との融合を目指しました。2009年には「Koy Shunka」をオープン。カウンターを囲むオープンキッチンという当時まだ珍しいスタイルと、松久シェフが手掛ける緻密で本格的な日本料理が大きな話題を呼び、国内外のセレブリティたちも訪れる人気店となりました。
2012年、スペインで初めて日本人シェフとしてミシュラン一つ星を獲得。筆者は2016年に「Koy Shunka」を訪れましたが、その頃には、松久シェフは、テレビCMや料理番組にも登場するスターシェフでした。現在はバルセロナに4店舗、スペイン国内に6店舗を展開し、約90人のスタッフを率いる経営者としても注目の存在です。
バルセロナの街に捧げる「IKOYA」

2021年、パンデミックの最中にオープンしたのが「IKOYA」です。松久シェフはこの店についてこう語ります。
「これは、自分自身とバルセロナへの贈り物です。30年近く料理をしてきた、この街との関係への感謝の気持ちを込めて。」
シェフが、東京で親しんだ居酒屋文化を、バルセロナに再現したのが「IKOYA」です。
賑やかさと煙、日本酒や焼酎が飛び交うカウンターに、精緻な日本料理がカジュアルで楽しい表情を見せる。天井が高く、広く開放的な店内には、炭火焼きのカウンターが象徴的に設えられ、特注の鱈のランプやアートが、日本的な雰囲気をまとった未来感のあるモダンな世界観を作り上げています。立地は、サンタ・カテリーナ市場の向かい、カテドラルからもほど近い便利な場所。バルセロナの街並みに自然に溶け込む居酒屋です。
一皿から伝わる松久シェフの哲学

最初に供されたのは、枝豆の炭火焼き。
居酒屋の定番ともいえる枝豆が、ここではガストロノミックな一皿として登場します。
刺身や握り、細巻き、ラーメン、肉や魚の炉端焼き…。どの料理からも、新鮮な素材の確かさと丁寧な仕事ぶりが伝わってきます。さらに、日本の居酒屋料理にガストロノミックなひねりを加えた、やや濃いめの味付けが、現地のお客さんの胃袋をしっかりつかむことに深く共感しました。お酒やワインも進み、店内はいつの間にか活気にあふれていました。
日本ならではの持ち味を存分に活かしつつ、スペイン人の好みにも寄り添いながら、居酒屋らしく、ワイワイとカジュアルに、シェアして楽しめるのが、「IKOYA」の大きな魅力だと感じました。
そして料理を引き立てるのは、44種類におよぶ職人仕込みの日本酒のセレクションです。
「ゲストを喜ばせるための料理でなければ意味がない」
松久シェフの信念が、一皿一皿に込められています。
バルセロナで広がる「IZAKAYA」
和食の伝統を礎にしながらも、こだわりを押し付けるのではなく、現地の人々の心に響く料理を生み出す。その結果「IKOYA」は、バルセロナの人々に愛され、日本人にとっても新鮮な発見をもたらす唯一無二の居酒屋となりました。
近年、スペインの美食家の間で「OMAKASE」という言葉が浸透したように、
いま「IZAKAYA」という日本語が「IKOYA」を通じてバルセロナに広がりつつあります。
地中海の恵みと日本料理が交わる場所から、新しい食文化が芽吹いているのです。
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IKOYA
📍 Av. Francesc Cambó, 23, Barcelona
Web:https://ikoyaizakaya.com/
Instagram:@ikoyaizakaya

Ikumi Harada 原田郁美
Journalist & Creative Director
スペインワインとガストロノミー専門ジャーナリスト。大学卒業後、広告代理店でデザイナーとして、クリエイティブな視点と戦略的思考を培う。2005年から留学を機にスペイン食文化に魅了され、その研究に人生を捧げる。2009年から日本・アジア市場でスペインワインの輸出とプロモーションに従事。2011年に「スペインワインと食協会(AGE)」を創設し、クリエイティブディレクションや執筆を通じてスペイン食文化の普及と市場拡大に寄与している。2012年、プリオラートでワイン造りを始め、2024年に自らの初ヴィンテージをリリース。2025年より、フアン・ムニョス氏と共同企画「Spanish Lifestyle」連載開始。WSET® Level 3, Spanish Wine Specialist(ICEX認定)。山口県出身。
@ikumiharada

Juan Muñoz フアン・ムニョス
Master Sommelier
ワイン、飲料、グルメ食材の国際的な権威。スペイン、ラテンアメリカにソムリエ協会を設立し、各国の名門大学で教育に携わる。現在、アカデミー・オブ・サムリエ(ASMSE)会長兼、El Corte Inglésの専門学院で教鞭をとる。14冊の専門書を発表、「フランス農事功労賞」を授与されたスペイン唯一のソムリエ。カタルーニャ最優秀ソムリエ(1987年)、スペイン最優秀ソムリエ(1993年)、欧州最優秀ワイン・美食コミュニケーター(2007年、ロンドン)など、受賞歴多数。ブラジル世界大会ファイナリスト(1992年)。スペイン、メキシコ、アルゼンチン、ウルグアイなどでソムリエ育成を先駆け、世界のワイン文化発展に貢献している。
@juanmunozramos