三鷹・天神山須藤園、都内唯一のオリーブ生産者を訪ねて
正直に言うと、この日、私は取材として訪問したのではありません。
スペイン在住でオリーブオイルソムリエ®の田川敬子さんからお声がけいただいて、都内にあるオリーブ農園を「見学」する、そのくらいの気持ちでお伺いしたのでした。けれど現地に立った瞬間、その認識は完全に覆されました。

想像していた「都市農園」とは、まったく違った
目の前に広がっていたのは、とても東京とは思えない農家の風景でした。入口に立った瞬間「この土地は、一体どれくらいの時間を見守ってきたのだろう」そんなことを思わず想像してしまうほど、健康で立派な樹々が迎えてくれます。よく手入れされた畑には、たっぷりと光が差し込み、敷地全体が明るく穏やかな空気に包まれていました。

須藤さん(左)、オランダ人のオリーブオイルテイスターニッキー(中)と、スペイン在住のオリーブオイルソムリエ®田川敬子さん(右)
ここは東京・三鷹の天神山。
住宅地のなかにありながら、風の通りがよく、土が生きていることが専門家でなくても伝わってきます。オリーブ畑には下草が残され、樹々の葉は美しく生き生きとしていました。

さらに驚かされたのは、敷地内に搾油所があり、実際に稼働する設備が整えられていたことでした。そして栽培されているオリーブの品種を聞き、思わず言葉を失います。

アルベキーナ種、ピクアル種。スペインを代表する品種に加え、イタリアのカロレア種も育てられているというのです。その瞬間、スペイン産オリーブオイルを専門に扱ってきた私のなかで「これはただの訪問では終われない。この場所は、記事にして伝えなければ」というスイッチが入りました。

静かに、しかし確かな意志をもつ人、須藤さん
この農園を率いる須藤さんは、2020年にジュニアソムリエ、2021年にオリーブオイルソムリエ®の資格を取得し、さらにマスターミラー(搾油技術)講座やマスターグロワー(栽培)講座を受講されています。「農」に携わりながら、味わいを言葉にする学びを重ねてこられたことが、その歩みからも伝わってきます。

第一印象は、とても穏やかで、おおらかな方。けれどお話を伺っていくうち、その眼差しが過去・現在・未来を同時に見渡していることに気づかされました。
「子どもたちが興味をもってくれることをやりたい」
「農作物を通して、いろいろな人とつながっていけたら」
2025年収穫「天神山オリーブオイル」をテイスティング:とてもマイルドで優しい風味の後にポリフェノールを感じるアクセントも。オリーブオイルのプロフェッショナルが全員笑顔になる味わいだった。
多くを語るわけではありません。けれど須藤さんの言葉には、これまで積み重ねてきた時間と経験が自然に滲み出ていて、穏やかな口調の奥から、本当に大切なことが胸に届いてくるのを感じます。

気づけば人が集まり、自然と輪が生まれていく。その中心に、須藤さんが静かに立っている。信頼とは、声高に語られるものではなく、畑と仕事の積み重ねの中から、立ち上がってくるものなのだと感じました。
オリーブの隣に、竹と柚子と、蔵がある風景
須藤園のオリーブ畑の隣には、見事な竹林も広がっています。スペイン在住の田川敬子さんは「竹とオリーブが並んで見える姿は、スペインにはなく日本らしくて忘れられない」と言います。

美しく育っているその竹は、たとえばパレスホテルの七夕装飾用として、ホテルの担当者が実際に足を運び、選び抜いていくそう。
樹齢100年をこえる柚子の木があり、その枝いっぱいに実をつけています。

周囲には、さまざまな柑橘類や柿が点在し、季節ごとに豊かな表情を見せてくれることを想像できます。

果樹園や畑を潤す水は、すべて井戸水。この土地の記憶をたたえた水が、長い時間をかけて土を育み、樹々を支えてきたのでしょう。

敷地内には戦前から残る蔵も佇んでいます。時代を超えて受け継がれてきた風景の中で、今も変わらずに農の営みが続いているのです。

命を育てる土づくり、 都市農業の理想形
須藤園の土づくりは、徹底しています。府中の東京農工大学・馬術部から譲り受ける馬糞、剪定した木のチップ、地元三鷹の刈谷珈琲店から出るコーヒーかす、それらを発酵させて自家製の堆肥をつくっているそうです。

オリーブは地中海性気候の作物ですが、ここでは「東京の土」で、東京のやり方で、オリーブがしっかりと根を張っていることがわかります。
都市の中で、農を未来へつなぐという挑戦
天神山須藤園は、14代にわたり農家としてこの地に根を下ろしてきました。

畑の樹々や果樹だけでなく、質の高い植木もそだ質の高い植木も手がけてらっしゃいます。人よりもはるかに長く生きる木を育て、街路樹や公園として街の風景に残していく。その仕事には、時間とともに価値が深まっていくという農業の本質が息づいています。
そうして培われてきた技術と哲学を土台に、須藤さんは2020年秋、新たな挑戦に踏み出しました。オリーブオイル用の苗木を植えたのです。

現在、育てられているオリーブの木は110本。昨年は約250kgのオリーブが実りましたが、2025年は不作で約80kgの果実を収穫。そのなかから生まれたオリーブオイルは、わずか3kgでした。将来は200本まで樹を増やしていくことも視野に入れながら、時間をかけて、この場所ならではのオリーブづくりを続けていく予定だそうです。

目指しているのは「東京・三鷹産のオリーブオイル」が、家庭の食卓やレストランで自然に楽しまれる未来。それは同時にこのオリーブプロジェクトが、都市農業の可能性を次の世代につながるための試みとしての1歩なのだと感じました。

東京三鷹天神山オリーブ、行って、味わってほしい理由
2022年には、東京産のオリーブを使ったものづくりの拠点として「東京三鷹天神山オリーブベース」が開設されました。

須藤園のオリーブの葉からつくられた「オリーブパウダー」:とても優しい風味で飲みやすく、カフェインレスなことも嬉しい
植木や都市農業の新たな魅力を発信していくため、オリーブオイルの製造だけでなく、健康食品として注目されるオリーブリーフパウダーの販売なども行われています。

けれどここを訪れてほしい理由は「東京産のオリーブオイルが買える場所だから」だけではありません。
東京という大都市の中に、これほどまでに丁寧に手をかけ、時間をかけて育てられている「農」が存在していること。そしてオリーブという作物を通して、人と人が自然につながり、想いが受け渡されていくこと。その空気感そのものを、ぜひ体感してほしいのです。

畑に立ち、木々を見上げ、風を感じ、須藤さんの言葉に耳を傾けると、オリーブは農作物というだけではなく、土地と人、過去と未来を結ぶ存在なのだと気づかされます。
東京三鷹天神山オリーブベースは、オリーブオイルを「買いに行く場所」であると同時に、都市のなかで育まれる「農」の価値を、五感で味わいに行く場所なのだと思います。

農園の入り口にある自動販売機では、フルーツ、野菜や農園の果樹からつくられるジャムも購入できる。今回は柿とみかんを購入。みかんは酸味と甘味のバランスが素晴らしく、柿は歯応えも良く、甘みもしっかりとあった。やはりここの大地は健やかだと、味わいながら実感した。
最後に
今回の訪問でひしひしと感じたのは、「東京でオリーブを育てる」という言葉から想像する以上に、オリーブを“文化”として育てている現場だということでした。想像もしていなかったほど、深く、静かで、力強い物語が天神山には息づいています。

皆さんには、ここで生まれたオリーブオイルをぜひ一度、味わっていただきたいです。
スペインの品種が天神山というテロワールでしか表現できない個性として、そこにあるからです。この味わいは、この土地に流れてきた300年の時間と未来を見据えるまなざし、そして須藤さんの人柄を思い浮かべてしまうような、やさしさが感じられるはずです。

ただ今季のオイルは完売しているとのことでした。
私は今、来季は収穫前に再び訪問させていただきたいと、密かに考えています。今年の東京の気候と、健やかな土壌の中で育まれるオリーブの実を、その目で見てみたいから。次の味わいが生まれる“その手前の時間”を、もう一度この場所で味わってみたいのです。
来季、その瞬間に立ち会える日を、今からすでに楽しみにしています。

スペイン在住のオリーブオイルソムリエ®田川敬子さん(右)、オランダ人のオリーブオイルテイスター ニッキー(中)と筆者(左)
ニッキーとは昨年、スペイン・マドリッドで開催されたオリーブオイルのプロフェッショナルが集うWOOE(World Olive Oil Exhibitio)以来の再会。
敬子さんとは、第13回スペインワインと食大学「オリーブオイル」以来の再会。

Tomoko Kato 加藤智子
Journalist (Spanish Food Culture & Wine) & Editorial Producer
福岡出身のジャーナリスト/スペイン食文化・ワイン専門、編集プロデューサー。料理人、ワイン販売、広報・PRを経て、輸入・販売の(株)LA PASIONを設立し、17年にわたりインポーター業を継続。2011年「スペインワインと食協会」を創設し、スペイン食文化とライフスタイルを軸に多くのイベントや講座をプロデュース。ジャーナリストとしてスペイン州政府や企業団体からの招聘を受け、現地展示会や生産者プレスツアーに毎年参加するほか、行政機関や企業団体のイベント企画・発信も行っている。協会公式サイトおよびWebマガジン「LOHASPAIN」は編集長として、コンテンツ企画・構成・執筆を一貫して手がけ、スペインワインと食文化の魅力を国内外に発信中。オリーブオイルソムリエ®、Spanish Pantry(ICEX認定)。
@ tomoko_kato_lapasion